• 2011年撮影の鹿島海軍航空隊司令部跡をお送りします。 霞ヶ浦岸に作られた、鹿島海軍航空隊の練習航空隊の施設で、霞ヶ浦分院は有名です。 ここでは、機罐場跡をアップします。
  • 2011年時点で、建物の屋根や壁が崩壊しつつありました。
  • 錆びついたトタンの壁、縦長の窓、破壊ではなく経年で割れたガラス。
  • 個人的にはこの縦長の窓が懐かしい。というのもYamaroが通っていた小学校は昭和9年建造(卒業後すぐに改築)で、こんな感じの窓がついていたからです。
  • 中に入ると、ガラス保半分以上がなくなった窓が印象的。廃墟における窓は、光と影の境目。
  • 古いテレビが転がっていた。手前のテレビは韓国のGoldstar、現在のLGの前身です。昔はよくホームセンターで安売りしていましたね。
  • 機罐場の機材。これらは戦後に設置されたものと思われますが、ちゃんと近くで撮影しなかったのが悔やまれます。
  • これは比較的新しい、SANWAのデジタルマルチメーターPocket MINI。これは80年代から90年代の製品ですね。 実はこれのソーラータイプは私も持っていて、それも90年代に親父からもらったものが未だ現役。ちなみにこの商品、若干のデザイン変更で現在も販売されているロングセラー商品です。
  • 機罐場のボイラー。1938年以来70年以上(撮影当時)居続ける。サビが良い感じ。
  • ボイラーが2基鎮座している。この当時は石炭を使っていたのだろう。
  • 錆びついたバルブのハンドルがたまらない。
  • 機罐場の屋根の一部はトタンが剥がれてなくなっている。中央は放熱のためか、意図的に屋根が開いていて、本来はその上にさらに屋根があって雨を避けていたが、そこの屋根のトタンは全てなくなっている 2011年でこんな感じだが、現在はどうなっているのか?
  • 2009(平成21)年11月に土木学会選奨土木遺産されたが、カタパルトや滑走台などの湖岸施設のみで、ここは対象外の模様。
  • 機罐場の象徴である煙突が、屋根のスリットから垣間見えた。
  • 夕方、澄み切った1月の空。撮影日和だった。 そして現在では、この場所の撮影は事実上不可能となってしまった。
  • 月が見えていた。
  • 日が沈む。もう撮れないであろう、この風景。
  • 2011年1月当時、既に霞ヶ浦分院や機罐場前の道路は工事が始まっていた。パワーショベルの向こうに見えるのが霞ヶ浦分院。
  • 2918年11月、再び訪れた。周辺はすっかり変わり、前の写真ではまだ工事中だった道路は、このように完成していた。
  • 機罐場の建物の一部。元々ここは2011年時点でも壁や屋根が多く失われていたが、更に進行している模様。
  • 霞ヶ浦分院クローズアップ。元々鹿島海軍司令部庁舎だっ建物は、1946年に東京医科歯科大学霞ヶ浦分院として利用され、1997年まで稼働していた。テレビアンテナや水タンクも設置されていたが、2011年に健在だってテレビアンテナは、折れてしまった。
  • 機罐場の建物。手前も奥も、2011年時点よりさらに壁や屋根が失われていた。 骨組みだけになるのも時間の問題か。 これ以上は近づけず、当然中の様子も窺い知ることはできない。
  • 霞ヶ浦。敵時に霧が出ていて幻想的だった。この場所は現在、水環境保全再生研究ステーションの施設の一部となっている。
  • 柵の向こうに機罐場の煙突が見える。この道路は現在、国立環境研究所の敷地となっているため、立ち入ることはできない。 旧海軍鹿島航空隊・霞ヶ浦分院・機罐場からは以上です。
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