• 目的地までの道を間違えて走っていたら、目についた建物があったので、寄ってみた。
  • 奇抜な塗装。
  • 古いビルだが、廃墟ではない。旧君津会館(君津診療センター) で、撮影時点では廃墟スタジオ。
  • シャッターの向こうには軽バンが。
  • 1階は倉庫のようで、現役建物なので、照明も点いています。
  • 建物横の詰め所?にも奇抜な塗装
  • 。電線はカットされていた。では本来の目的地へ。
  • 旧陸軍技術研究所富津試験場跡(通称富津試験場)、現在は富津公園となっている。
  • 富津公園中央にある展望台は、この撮影時封鎖中だった。
  • 最初に目についたのは、円弧状の石垣。これは観測壕。
  • 富津元州堡塁砲台跡と称されている場所ですが、古いコンクリートのこの場所に砲台があったわけではなく、実際はこの写真の左側似あったようです。
  • 階段へ。
  • この階段のある部分は、コンクリートで塞がれていてなんだかよくわかりませんが、観測所があったそうです。
  • 「拓魂」というプレートが貼られていますが、これは後に付け加えられたもので、元々は射撃方位盤か何かが載っていたと思われます。
  • 階段を降ると、ぽっかり穴が空いている場所があります。
  • この穴は高さがあまりなく、屈まないと中には入れません。 戦時中の日本人成人男子の平均身長は160cm程度だったようですが、それを考慮しても、やっぱり低いです。
  • 中に入ってみると、美しいレンガの壁で作られた弾薬庫内は、それほど広くもなく、砲台跡付近にも弾薬庫があることから、ここはあまり口径の大きくない砲弾用か、一時的な置き場所だったのかもしれません。 中央上部の穴は、塞がれていますが、伝声管があったようです。
  • 通風孔らしきものが、雑草の生い茂った中にありました。 夏なので雑草に埋もれてしまっているのが残念。
  • 夏の盛りの伸びた雑草に埋もれてしまった、弾薬庫と砲台跡。春か秋に来るべきでしたね。
  • 別の観測壕をクローズアップ。この時代のコンクリートに多い、大粒の砂利を混入させたもの。風化してきて穴が開いています。
  • 池をまたぐ橋は、なんとも古めかしい感じで、これも戦時中に作られたものなのか?
  • 建造年を示すものは見つけられませんでした。
  • 筒状の建物は、「射入窖」(しゃにゅうこう)という、機関銃や小銃などの射撃試験をするところです。
  • 雑草や蜘蛛の巣をかき分けて、なんとか入り口?にたどり着きました。
  • 中は、上面のコンクリートが腐食しているのか、まるで素掘りをしたかのようなガタガタ具合。 地面に砂がありますが、これは後から混入したのではなく、跳弾を防ぐためのようです。
  • 天井は玉砂利を多く含んだコンクリートがボロボロに風化している様子。 中心に穴があり、何かを通していたのでしょうか?
  • 壁に掘られた「1952」は、戦後のイタズラでしょうか?
  • 小さな鍾乳石ができていました。 戦後74年ですが、この鍾乳石は年数に対して小さく、この射入窖に使われているコンクリートに含まれる石灰成分があまり多くないのかな?
  • これだけ生い茂っていると、GPSを頼りに探し回っても、見つけるのに一苦労でした。
  • 散々歩き回った挙げ句、この場所の監的所は、草に埋もれて到達不可能(赤丸部分に頭が出ている)
  • 次に訪れたのは、富津岬の海岸沿いにある監的所。
  • 海水浴できない場所なので、お盆時期でも人気はありません。そして東側に黒い雲が接近。早めに撮影を終えねば。
  • 富津試験場の監的所発見。
  • 近づいてみました。 草で覆われているけど、獣道っぽくなっているのを発見。草をかき分けて進みます。
  • こんな感じで草に埋もれながらも進入。
  • 監的所入口に到着。
  • 中を覗き込むと、当然ながらガランドウ。
  • 玉砂利を多用したコンクリート。
  • スリット状の開口部と入り口。
  • コンクリートは一部崩壊が。海岸沿いとあって、風化してきています。
  • このスリットは森側を向いています。陸側に向けて発射する事もあったのでしょうか?
  • 蜘蛛がのんびり獲物を待っていました。
  • このスリットは東京湾を向いています。が、今は木に覆われて視程不良。
  • コンクリートが割れて剥離、鉄骨が見えています。すぐには崩壊しないでしょうが、確実に劣化してきています。 しかし、この場所も多くは案内板もなく放置され、朽ちるに任せています。
  • 先程のスリットから、遠方にフォーカスを合わせると、貨物船が見えます。 当時は海に向かって射撃して、カノン砲や榴弾砲の試験をしたのでしょうか? あるいは、監視活動を行っていたのか。
  • 少しずつコンクリが剥がれてきています。 戦後75年近く経過、確実に劣化はしてきています。
  • 監的所を後にします。建造から1世紀近く経過したと推察される監的所、あと1世紀持つのかな?
  • 雲が迫ってきているので車で移動します。直後大雨に降られて、撮影は一時中断し、昼食タイムへ。
  • この遺構では、立ち位置禁止にも関わらず、中でヤンキーがBBQ中でした。
  • 次の目的地は旧陸軍金谷砲台跡 砲台山ハイランド。ここも砲台つながり。旧陸軍金谷砲台跡地に建造された、「砲台山ハイランド」は、1960年代にできて、70年代後半には閉鎖されたとか。
  • 砲台山ハイランドまでの道、すでに人が通らなくなって久しく、枯れ葉に覆われていた。
  • 木が倒壊してから、だいぶ経過した模様。なにせ閉鎖されてから40年。
  • 最初の建物発見。屋根がなくなった、ブロック塀の建物。
  • トイレでした。当然和式のみ。
  • 屋根がなくなり、すっかり枯れ葉に覆われたトイレ。
  • 鳥かごがあった場所なのか? かなり崩壊が進んでいます。
  • 砲台山山頂。更に上に砲台があった模様。鬱蒼としています。
  • かつて弾薬庫だった場所へのトンネル。 一瞬光が指したかのように見えたけど、オレンジ色の封が倒れていただけ。
  • オレンジ色の封が倒れて中が見える状態。
  • 真っ暗なのでフラッシュ撮影。骨組みだけのベンチがあり、これといったものはなさそうなので、中には入らず。
  • 小屋らしきものが点在する。
  • トイレらしき建物が再び。ここもブロック塀。
  • 洗面台。屋根の一部は崩壊。
  • 男子トイレ側。懐かしの朝顔便器。
  • 屋根は腐食し、崩壊しつつあります。
  • 弾薬庫トンネル、こちら側はしっかり封鎖。2010年にボヤ騒ぎがあり、以降ここには蓋がされたと聞きます。
  • BBQ場跡へ。
  • おしゃれなレンガ、当時としてはハイカラ(死語)な場所だったのかな?
  • 王冠の着いた瓶ビール。中身は半分くらい残っていたけど、ラベルがなく銘柄不明。
  • 廃業から40年、木々も成長します。
  • 魚眼レンズで切り取る。木々も大きく成長。
  • BBQ場の中、立派な木の柱が屋根を支える。
  • 建造から半世紀を経てなお、まだ倒壊しそうにない。案外木造建築は丈夫?
  • ここで幻想的に撮れてしまって何事かとレンズを見ると、油らしきものが付着。拭っても撮れないのでレンズを標準ズームに切り替える。
  • 懐かしいコンセント。
  • 屋根の一部が欠損。ここがボヤで燃えた場所らしいが、すでに9年経過して、燃えたのか自然崩落なのかが分からなかった。
  • 森に落ちていた謎の物体。この後正体が判明する。
  • 砲台跡に作られた池。枯れ葉で覆われて生き物もいなそ。う
  • 廃リフト。かつて麓からここまで客を乗せて運行していた。未だロープが張られている。
  • 錆びているけどまだ倒壊しそうにないリフトの支柱。頑丈に作られているのがわかります。
  • 先程の謎の物体は、どうやらリフトの座面のようです。昔スキー場でもよく見た一人乗りタイプのリフトです。
  • 滑車はサビつき、もう固着し回ることもないでしょう。
  • リフト乗り場、当時の面影が少し残っている。
  • リフト乗り場の下には大きなギヤ。ここが回ってリフトは動いていました。
  • 減速機。モータは回転数が早いので、減速機を使って減速させてから、動力伝達。 ちなみに減速機は製造が昭和41年(1966年)。つまりこの砲台山ハイランドは1966年以降に開演したことがわかります。
  • 東芝製のモートル(モータ)。
  • リフト制御盤。配線が整っていて、仕事ぶりの良さが伺えます。
  • 差し込む光と、緑に飲まれるリフトの装置一式。
  • 光と影の対比が美しい(自画自賛)。
  • 砲台跡の展望台? 今は木々に覆われ視界不良に。
  • それでは砲台山ハイランドを後にします。 見るべきものは少ないが、リフトが個人的にツボでした。
  • 千葉廃墟ツアーラスト。予定外でしたが、第一ホテルみほし館へ。
  • 蔦に覆われた建物、鉄板で厳重に風をされた入り口。2018年に侵入した6人が書類送検されたとか。そりゃ6人で入ったら目立ちますわ。
  • 見事な蔦に覆われています。そしてあちこち崩壊も始まっている様子。 内部は1階が浸水し、上のフロアも一部崩壊が始まっているようです。
  • ホテル向かいの建物も、古くなさそうですが管理物件に。かつてはバーも入っていたようです。
  • ホテルの裏手には防護ネットが。これも2018年のストリートビューにはなく、ここ最近設置されたようです。つまり、建物の外壁の崩壊が始まって、危険な状態になっていると言えます。
  • 1階はベニア板で窓が塞がれています。 2階は宴会場や結婚式場が、3階がホテル客室だったようです。
  • 非常階段も蔦に覆われています。
  • 正面入口クローズアップ。 右手の崩壊した看板、2012年ころのストリートビューでは、健在でした。 1階はフロントやいけす料理のお店が入っていました。
  • ホテル裏手。蔦に覆われています。すぐ隣は駐車場ですが、ホテルの外壁崩壊の危険性もあるためか、ホテル側は駐車スペースとして使われていなかったです。
  • ホテル向かいの廃旅館。ここも2015年頃までは営業していましたが、廃業後は管理物件に…。以上、千葉廃墟撮影ツアーでした。
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